「僕が結婚して、妻の名字を選んだ理由」
正直、よくわからない内容だ、と思った。
筆者が彼の「信念」に基づいて、妻の名字を選んだのは、まあそうならそうでいいのだが、
「妻の名字を選ぶこと」と筆者の言う「家族感」と「ジェンダー平等」について、矛盾を感じる。
1.家族感について
筆者は、「結婚した後、家族で名字を共有したかった」らしい。
それはなぜなのかよくわからないが、妻となる人とは名字をき共有したいらしい。
しかし、後に「同じ経験を共有し、共に努力することこそが家族をつくると思う。名字ではない。」と述べている。
名字で家族の絆はつくれない、というくせに、妻とは家族だから名字を共有したいのか。
どっちだよ、と思う。
(翻訳がおかしいのかと思って、原文を見たけれど、大きくずれた翻訳だとは思わなかった。)
2.ジェンダー平等について
筆者は、自分が名字を変えることで、周囲に自分と妻の関係は「ジェンダー平等だ」と主張できるとしている。
それが「ジェンダー平等の常識を破る」(正しく翻訳するとすれば「ジェンダーの常識を破る」だと思うが)、ということらしいが、
夫婦別姓を選択できるアメリカでそれをすることが、果たして本当に「ジェンダー平等」なのか、わたしにはわからない。
そして、他人に「妻の名字を選んでやったぜ、ジェンダー平等だろ?おれら」と言いたい理由もよくわからない。
以上二つの観点から、この筆者の主張はよくわからなかったが、
言えることは、
「名字をどちらにしようね?二つとも名乗る?それとも別姓?」と、夫婦間で話し合いの末決める、というのは、大切だといいことと、
話し合う上で選択肢が色々ある、ということは、必要なことだ、ということだ。
日本において、そもそも話し合いをもってくれる「男性」は少ないだろうし、そもそも現時点ではどちらかの名字を名乗ることしか選択肢はない。
悲しいことだ。
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