2015年1月29日木曜日

家族経営と質の高い労働力

農業経営学の世界において、家族経営の優位性として語られるのは、「質の高い労働力」である。

「質の高い労働力」とは、「当事者意識をもった労働力」であるらしい。

しかし、この定説に、家族の絆の名のもとに「質の高い労働力」を搾取する構図を見出してしまったとき、私は絶望した。

だって、「質の高い労働力」とは、当事者意識(生活がかかっているが)ゆえに辞めない(反乱を起こさない)し、真剣に働く労働力だからである。

文句を垂れても生活はできないし、辞めてしまえば、職も生活の場も失ってしまうことになるのだ。

さらに、辞めないから作業に関しては熟練する。

だから、経営主は都合よく労働力を使う。

ブラック企業だ。

この、「質の高い労働力」として、利用されてきたのは、たいていの場合、農家の女性である。

おそらく、長い間、日本の家族経営はこのようにして、経営されてきたのであろう。

もしかしたら、「会社は大きな家族である」といわれ、更に男が一家を養うという、男性稼ぎ主モデルの日本の会社社会が長い間そうだったのかもしれない。


しかし、非効率的だとは思わないだろうか。

構成員一人一人の能力を最大限に引き出すべきなのではないだろうか。

実際に、妻が自身のキャリアを活かして、営業担当を務めるいくつかの家族経営は、ブランディングに成功している。

社会関係資本が重要視される昨今、構成員の社会関係資本を最大限利用すべきなのではないだろうか。

今までのように、「家の中に閉じ込めておく嫁」というのは、経営にとって良くないはずである。

2015年1月19日月曜日

「共働き家庭の子どもは「かわいそう」ですか?」


こんな記事が以前出ていた。

筆者が、働く女性に関する記事を書くと、「子どもがかわいそうでしょう?」と言われることに衝撃を受け、共働き家庭で育った筆者の体験談を書いている。


女子就活生のうち8割以上が、「結婚、出産後も働きたい」と考えている(マイナビ調べ。)にもかかわらず、
有職未婚女性の約6割が「結婚出産後は専業主婦になりたい」と考えているのである(ユーキャン・アイシェア調べ。)。


この矛盾は何だろうか。

きちんとしたデータがあるわけではないが、個人的には、2つの理由があると思っている。

一つは、就職後、女子が会社で働いていくことの厳しさに打ちのめされてしまうことだ。

よく言われる、「ガラスの天井」現象である。

もう一つは、「働きながら、母親になること」への不安だ。

これは、先日とあるイベントでお話を聞いた、株式会社スリール代表の堀江さんも仰っていたことだが、「自分の母親は専業主婦だった。自分も自分の親のようにならなきゃいけない」と思う学生が多い、ということだ。

「働きながら母親になること」は、おそらく今の若い女性にとっては、やったこともない未知の世界だから、不安も感じるし、当事者意識もない。

自信がないから、自分が働くことを諦めれば良いと思っている。

そんな問題意識から、スリールはワークライフインターンという、共働き夫婦の家庭生活を経験するインターンシップ事業を実施している。



この「働きながら母親になること」へのイメージが出来ない女性がいることは、私自身も共感する部分がある。

自分で言うのもなんだけれど、私の周りには優秀な女友達がたくさんいる。

私自身が修士2年なので、私の女友達たちも、ここ数年で就活を経験し、社会に出始めた年齢だ。

みんな、就活の頃は、働きたい!と思って、就活をしていた。

「働きたいけど、やっぱり子どもができたら、子どもの事を考えると、お母さんが家にいたほうがいいと思うから、どうしようかな。」

「今の仕事をしながら、子育てをできる気がしない。」

という声を何度もきいた。

しかし、働き始めた彼女たちと、結婚や出産について話していると、



そういう女友達の母親は、決まって専業主婦だ。

彼女たちには、「働きながら母親になること」を実践しているロールモデルがいない。

そして、働く母親をもつ子どもの気持ちも知らない、のだと思う。

最初に挙げた記事の筆者に対する「子どもがかわいそうでしょう?」という言葉も、それを表していると思う。

ちなみに、私の母親は、専業主婦を経て、今は仕事をもつ母親だ(最近、失職したのは内緒)。



働く母親のロールモデルに関しては、スリールのワークライフインターンが教えてくれるとして、

私は、働く母親を持つ子どもの気持ちの一事例として、自分の話を書こうと思う。




【私の家族】

私は一人っ子なので、3人家族だ。

母親と父親、私である。

私の母は、短大時代から所謂三高の父を捕まえ、そのまま結婚した。

当時にしてみれば、母は勝ち組だったに違いない。

その証拠に、母方の親戚の中で母は自慢の親戚になっているのがよくわかる。

結婚が決まった時は、母は商社の一般職としてOLをしていた。

結婚を機に、母は当然のように寿退社をし、専業主婦になった。

専業主婦になってからは、仕事で忙しく、月の半分は当直をこなす父を家庭で支えた(というと聞こえがいいが、当時の母の狭い価値観の下では、こうするのが当たり前だったのだと思う)

わたしと二人きりで過ごす日々だったと思う。

しかし、もともと学級委員をこなしたりしていた目立ちたがりの母が、専業主婦業が向いているわけもなく、私が小学校に入る頃から徐々に社会との関わりを持っていく。

小学校の図書館を子どもの居心地の良い場所に変えようと、母親たちによる図書ボランティアサークルを立ち上げた。

同じ頃、親業(詳しくは割愛、親学とは全然違います)のセミナーを受け、インストラクターの資格も取得している。

父親の転勤で名古屋に引っ越してからは、女性運動に携わる仲間に出会い、活動を続ける中で、力をつけていったのだと思う。

女性活躍推進に関するNPO法人を立ち上げ、父親の扶養対象から脱却。

そのNPO法人が、名古屋市男女平等参画推進センターの指定管理を任されて、施設運営をずっと担っていた(その施設が仕分けされちゃったので、失職中ですが)。



父は、医学生時代に母と出会い、母に押されるように結婚した(たぶん。父が何を思って母と結婚したかは知らないし、教えてもくれない)

大学病院につとめ、それからずっと勤務医生活だ。

私が小さい頃は、仕事でほとんど家にいない存在だった。

先に書いた母親の変貌ぶりを目の当たりにし、父が内心何を考えているかは知らない。けれども、結婚当時はこんな風になるとは、全く考えてもいなかったことだろう。


父と母が25歳で結婚してから、2年後に生まれた私は、現在25歳。父と母が結婚した年齢に達していることに、これを書きながら驚いている。


父親が家にいなかったので、小さい頃はママっ子だった気がする。

そして、一人っ子なので、わがままで甘えん坊の、一人娘である。




【母親が働いていることに対してどう思っていたか】

母親が、働き始めて、私は鍵っ子になったわけだが、私は少し大人になった気分で嬉しかった。

小学校には鍵っ子は、何人かいて、学校に鍵を持って行って、自分で開けて家に入る、というのがかっこいいと思っていた。

だから、私は、少し得意げな気分だったのを覚えている。



休日に父と過ごすことも多くなった。

最初は、父と家で二人で過ごすのが嫌で、駄々をこねていたこともあった。

でも、 そんなものはすぐに慣れた。

父と出掛けるのも普通になったし、父と色々なことを話すようになった。

あぁ、父はこんなことを考えていたんだ、とか、父の仕事はこんな風なんだ、とかいろいろなことを知った(よく喋る父ではないので、未だにわからないことはたくさんあるけれど)。

父は晴れて、家庭生活の中に存在感を取り戻したのだった(たぶん)。



両親なしで過ごす時間も、おおくなった。

でもそれは、友達との時間の増加でもあった。

学校から帰れば、公園に遊びに行ったし、習い事もたくさんしていたので、一人で行った。

名古屋から岐阜県まで、毎週一人でバレエのお稽古に電車で通っていた。

他の地域から電車で通ってきていた友達とも仲良くやっていた。

そうすると、なんでも一人でできるようになるものだ。

友達作りも上手になったし、一人での暇つぶしも得意になる。

なんかあったときには、周りの人に助けや協力を求める術も身に着けた。

だんだん、一人が気楽になってくるものだ。

学校から帰ってきて母がたまたま家にいたりすると、あれこれ言われることも増えるので、うんざりするようになっていた。



そして、母が働き出して、私が何よりうれしかったのは、母親がそれまでになくイキイキし始めたからだった。

私が小さい頃、思うようにいかない私という子どもを抱えて、恐らく育児に行き詰っていたのだろう。

今思えば、ある意味、虐待っぽいことを私にしていたかもしれない、と思う。

たたく、蹴るは当たり前だったし、母にどつかれて窓ガラスにぶつかって、そのままガラスを破壊したこともある(けがをしたかどうかは覚えていない)。

「私はボールじゃないのに」と泣き叫んだこともあった。

そんな母親が、社会進出を果たすにつれて、自分に自信を取り戻し始めているのがわかった。

次第に、私に手を挙げることもなくなって、わたしと母という一人対一人できちんと話し合えるようになった。

専業主婦の頃の母の話と言えば、おそらく私のことばっかりだったと思う(私も幼かったので、あんまり定かではないけれど)。

それが、社会の話とか、地域の話とか、政治の話、母が素敵だと思った人の話、本当に多岐にわたるようになったと思う。

父親とも母は色々な話をするようになったと思う。

そして、自分の仕事のことを、自信をもって話すようになった。

それだけでも、家庭の中の会話に彩が増えた。

もちろん母親の興味を全て受けていたころからすれば、母の興味は私以外のところに大概は行ってしまった。

それでも、母が輝いてるのが、私は嬉しかったし、母は日本社会にとって大事な仕事をしている、という認識があったので、母は私の憧れに変わっていった。

仕事をしている母親は、今でも私の憧れだ。

それから、母親の想いを一身に受けるという重圧からの解放も喜ぶべきことかもしれない。


【共働き夫婦の子どもはかわいそうか】

私自身は、母親が働き始めて、自分がかわいそうだと思ったことはない。

私自身は、「共働きなんて子どもがかわいそう」という人の意見は、全くもって理解できないたちだ。

私は働いている母が自慢だし、一人で何でもできるようになったから、自分の人生にとっては、とても良い影響を与えてくれたと考えている。

別に、学校から帰って、おやつがなくったって、自分で引き出しから出せばいいし、近所の駄菓子屋で友達とあれこれ喋りながら買うおやつだって楽しいじゃないか、と思う。

母親が仕事から帰れば、夕飯の時間に、今日あった出来事を話せばいいし(どうしても困ったときは、母の仕事場に電話したりもしたが)、母もまた仕事の話やそこで出会った人のことなどを話してくれたので、私の人生は豊かになった。

子どもは、母親が思っているより、しっかりしているし、母親がべったりついていなくても、案外なんでもできてしまうものだ。

母が仕事で失敗することもある一人の人間であることも理解していったし、だからこそはらをたてることもあるんだと認識するようになった。

母が私を一人の人間として扱ってくれるようになったのと同じように、私も母が一人の人間であることを知った。

それは、私と母の関係性にとって、とても良かったと思う。

だから、かわいそう、というより、むしろ幸せだったと思う。



【これからどうしていきたいか】

私は、働いて社会と繋がりをもって、自信を持っている母を誇りに思っている。

だからこそ、自分も「働きながら母親になること」が、目標だ。

「働きながら母親になること」に不安がないわけではない。

でも、母の周りには、「働きながら母親になること」を実践してきた先輩がたくさんいる。

困ったことがあれば、母だけではなく、それ以外の人に頼ることを、母が働き始めたことで私は身に着けたので、きっと大丈夫だと思っている。

だから、「働きながら母親になること」を目標に、4月から働いていきたいと思っている、社会人予備軍です。


この体験談が、少しでも、働き続けたい女子学生の励みになれば、と思う。

2015年1月10日土曜日

長く続けることについて

最近、なにか物事を長く続けることって、それなりに意味のあることなんじゃないかと思う。

長く続けることで、周りの環境も、人間関係も、自分でさえ変わることがあるからだ。


私は大学2年生の時から続けてきたアルバイトがある。

現在修士2年なので、5年も続けてしまった。

何をするバイトかというと、ホテルの結婚式と宴会のサービスのバイトだ。

ホテルの宴会の配ぜん人て、知っている人は知っているかもしれないが、とても忙しい。

宴会や披露宴会場のスタンバイから、サービス、片付け、全部時間内にこなさければならない。

時間内(うちのホテルは結構無茶ブリな時間設定)にスタンバイもサービスも全部こなしつつ、お客様に最高の時間を提供する(ことを目指さなければならない)という、頭も体もフル回転なお仕事だ。

(ちなみに、うちのホテルは、時間設定と人員配置設定が無茶ブリなので、最高の時間をお客様に提供は出来ていないと思います。それでも、やはりサービスに従事する者としては、それを目指すべき、と思って働くわけです。少なくとも今の私は。できてないけど)

なので、基本的に働いている人はみんなピリピリしているし、裏では機嫌が悪い事が多い。

しかも、ホテル業界は、ブラック業界なので(「ホテル業界 ブラック」でググってみてください)、理不尽に怒られるし、怒鳴られる。特に社員さんが。

管理職級の人たちも、理不尽に怒られてきたし、怒鳴られてきたし、殴られてきたし、労基法破られてきたので、自分も部下にしちゃう、というよくある悪循環が起こっている(この悪循環にも物申したいけど今回は割愛)。

そういうのもあって、忙しくなってくるとみんな本当に機嫌悪い。

どこにでもいるような新人に嫌味を言うおばさんも、例にもれずいる。

そんな状況のホテルの宴会部門に、友達もいないのに、一人で入ってしまったので、最初は地獄だった。

わからない、理不尽、孤独の三重苦。

仕事もわからないから、間違えたり、失敗したりする。

私はたぶんひどく注意力散漫でずぼらで雑な性格なので、何度失敗したかわからない。

こっぴどく怒られる。自信をなくしまくった。

それでも、自分が失敗したんだし、仕方がない、と踏ん張った。

でも、わかんないことをわかんないと聞くと、なんでそんなことも知らないんだ、と怪訝な顔をされる。

明らかに八つ当たりされる。

はぁ?と逆切れしたくなるけれど、愚痴る友達もいないので、我慢する。

学生アルバイトの先輩たちは、先輩同士で仲が良く、その輪に入れない。

休憩になったってしゃべる人がいない。独りおにぎりをかじる孤独な日々。

辞めてやろうと、何度思ったことだろうか。

私のことなので、そう思っていたのが顔とか態度に出ていたのかもしれない。

どんどん孤立していった(と自分では思っている)。

早く辞めたい、と思って、他のバイトを探したり、ホテルバイトの回数を減らそうと、家庭教師をはじめてみたりしたこともある。

それでも、細々となんとなく続けてきたのは、シフトの融通が利いたことが大きいけれど、一度始めるとなかなか辞められない私の性格もあったかもしれない(特に習い事とか部活とか他人が関わることは)。

続けていると、ようやく3年目くらいから、友達ができ始め、古株なので頼られるようになった。

私が入ったころの学生アルバイトはみんな卒業していっていなくなったし、後輩が増えた。

社員さんも、いつも一人ぼっちだった私の扱いにだんだん慣れてきて、話しかけてくれるようになった。

英語が話せるので、重宝されたこともあった。

5年目の今となっては、社員さんですら私より後に入社してきた人が結構いる。

飲み会にも誘われるようになって、出ればまた仲良くなる。

そうすると、いつのまにかバイトに行くのが楽しくて仕方なくて、毎月の給料の最高額を更新していた。



ここまでくるのにすごい時間かかったなと思う(私はいつもそう)。

それでも、どんなに嫌でも、孤独でも、長く続けたことで、様々な状況が変化したと思う。

上司も代わったし、嫌いだった人も卒業していったし、怖かったおばさんも私に慣れて仲良くしてくれるようになった。

私も、仕事も覚えたし、失敗も減ったし、人に慣れて明るく振る舞えるようになったし、お客さんに言感謝されて嬉しいこともあった。

仕事ができるようになれば自分も楽しいし、周りと仲良くなれば、その場所は意心地の良い場所に変わる。

そういう場所に対しては、自分自身もより良い環境を作りたいと思えるようになった。

どうしたらお客様が喜んで気持ちよく帰ってもらえるだろうかと考える余裕もできた。

モチベーションて、上下するものだ。

自分が変わらなくても、周りが変わるかもしれないし、周りが変わらなくても、自分が変わるかもしれない。


だから、どんなに嫌でも、辞めてやろうと思っても、ある程度の期間続けていく、ということはそれなりに意味のあることなのだと思う。

「変化」を待ってみるのも、必要なことなのかもな、と思う。

というのが、私がアルバイトで学んだこと。


これ、就活で言えたら、もうちょっとましなアルバイト体験談話せたと思う。