11月13日のパリのテロ事件のあと、Facebook上で少々の騒動があった。
そのことについて私なりの意見を述べたい。
事の発端は、Facebookのプロフィール画像にフランスの国旗であるトリコロールを重ねる機能が登場したことだった。
その機能をめぐり、トリコロール化した人と、しない人という一種の小さな対立構造ができた。
そもそもこの機能がパリのテロ事件で犠牲になった人々への哀悼の意を表する目的のものである。
トリコロール化した人たちの大半はそういう想いなのだろう。
そのため、トリコロール化しない人からは、
「パリ市民に対しては哀悼の意を表するのになぜ中東の戦争の犠牲者にはしないんだ」
という批判があった。
それに対して、一部のトリコロール化した人たちは、
「私にはフランス人の友人がいる。友人の祖国が被害にあい、それに対して祈ることは、とても全うな感情だろう」
という。
それももっともである。
私とは言えば、
イスラム教の友達がシェアしていた
”I Dont Pray For Paris!
In fact I cant pray for Paris solely when I
know what has happened in Paris last night is the everyday life of many people
in less fortunate countries and ironically people are so desensitized to those
countries that they actually think thats the way those countries should be. But
NO, Terror is terror; it doesn't matter where is happening. If we support those
countries and won't get fooled by the medias then we would have a safer world
which eventually ends up to have a safer country, a safer city and a safer
home.
I dont pray for Paris BUT I Do pray for a
better and safer world."
という文言をシェアした。
つまり、トリコロール化しないことを選択したのである。
私には、エジプトに住んだ経験と、カナダに暮らした時の友人の中にイラン人が多くいたことから、おそらくイスラム教を割と身近に感じていたし、今回の事件でイスラム教の人たちへの風当たりが強くなるかもしれないことに、心を痛めていたからだ。
上の投稿をシェアしていた友達もカナダ時代のイラン人の友達だ。
もっとも、私のイラン人の友達がどういう気持ちで上の投稿をシェアしたかは、私には知りようがないけれど。
私はトリコロール化する人を批判的に見たりはしない。
なぜなら、彼らには、フランス人の友達がいるし、もしくは日本にとってフランスという国はおそらくイスラム教の国より、身近に感じられると思うからだ。
ただ、そのことに大して無自覚であり、流行したから、という理由だけでトリコロールにするひとが大勢いるかもしれない、と思うと少し危機感を覚えるのだ。
自分がなぜその主張をするのか、ということに無自覚であることは、自分の主張が周りに及ぼす影響に対して無自覚であることと同じで、
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