私たちは、中国人、韓国人、イラン人、ロシア人、日本人からなる多国籍グループでした。
先生「ある日無人島にこのグループの5人と漂着しました。
あなたたちは、ここでみんなで生きていかなければなりません。
みんなで確保した食べ物を独り占めする人がいるかもしれません、それを防ぐためにどうする?」
私たち「ルールをつくる」
先生「そうだね、そしたらそれを破る人がいたとする、どうする?」
私以外のグループメイト「罰を与える」
私「どうしてその人がルールを破ってしまったのか話し合います、何か理由があるかもしれないし」
といいました。
私は、罰を与える前に当然、対話によって解決できるならするべきだと思いました。
そして、おそらく日本でこのワークをやったら、少なからずこういう意見は出るだろうと思いました。
だから、カナダで私しか対話という意見を言う人がいなかったので、とてもびっくりしたのを覚えています。
そうか、世界は、ルールを破れば、秩序を乱せば、panishment (罰)なんだと。
と同時に、平和的に解決したいと思えた私、そういう考え方を私に教えてくれた日本という国を私は誇りに感じたのを覚えています。
私が小さい頃の教育は、戦後の反省から日本は武力をすて、武力をもって物事を制するのをやめたのです、としつこく聞かされた気がします。
日本国憲法の前文、第9条、第11・12条、第24条を暗記させられました。
それくらい、日本は戦後に反省の意をこめ作られた憲法を大切にしてきたのではなかったのでしょうか。
海外にいるとき、私は、戦争をし、残虐な行為を繰り返してきた歴史をもつ日本という国の人間であることに、どこか引け目を感じていました。
愛国心は危険なものだと思っていたし、だとしたら、日本人というアイデンティティなんていらない、と思っていました。
でも、そうか今は武力を捨て、平和への道を歩いているんだ、それが日本人らしさなんだ、その日本人らしさが私にはきちんと根付いているんだ、と感じたときに、私は初めて日本が好きだと思うことができました。
しかし、近頃はそんな日本もきっとなくなってしまうのですね。
もうなくなってしまったかもしれません。
そう思うと、残念でなりません。
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